1999年、山口県光市の本村洋さん宅で妻弥生さん(当時23歳)と長女夕夏ちゃん(同11ヶ月)が殺害された事件の裁判がようやく結審しましたね。
1・2審では検察側の求刑「死刑」に対し「無期懲役」
私はこの光市に住んでいた事があり、この事件の発生当時から興味深く見守っていました。
無期懲役?軽すぎだろ?
犯人の元会社員(当時18歳)が初犯であろうがなかろうが関係ない。
「初犯だから・・・」って・・・
じゃあ、何人被害者が出ればいいと言うのか。
強姦目的で部屋に押し入り、抵抗されたから相手を殺し
挙句なんの抵抗力も無く、目撃証言すらできない赤ん坊を床にたたきつけ
絞殺した犯人。
発覚していないだけで、他にも余罪がある筈。
偏見だと言われようが構わない。絶対コイツなにかやってる。
犯人が知人宛に出した手紙に溢れる、犯人の無反省と異常な人間性。
「極刑以外、受け入れる事はできない」
「極刑以外なら今すぐ釈放して、私の手が届く場所に置いて欲しい。私が自らの手で殺す」
被害者の夫であり父である、本村洋さんの言葉。
そりゃ、そんな気持ちにもなるさ。当たり前だよ。
私が同じ立場になれば、全く同じ事を言うだろう。
弁護側は今頃になって殺意を否定しているらしいが
詭弁と言うしかない。当初の犯行目的が強姦という重犯罪。
被害者が抵抗することぐらい容易に予測できた筈。
「抵抗されたから殺した」これが全てじゃん。
殺意があろうがなかろうが、犯人の身勝手な理由で二人が殺された。
それが全てじゃん。
死刑以外に考えられない。この事件に限らず「死刑」という判決で、私が同情するのは刑務官。
おそらく「嫌な仕事」№1じゃなかろうかと個人的に思う。
牛や豚、鶏の屠殺業者なら「食卓の為にやってるんだ!!」で、気持ちの整理もつくだろう。機械化も進んでるし、昔日に比べれば少しは楽になったんじゃなかろうかと思う。
私自身も、こうして改めて考えれば「感謝しないと」と素直に思う。
保健所の職員だって好き好んで、「処分」しているわけじゃないだろう。
悪いのは明らかに身勝手な飼い主(やむにやまれずというパターンもあるだろうけれど)なのだから。彼らはその尻拭いをやらされているだけ。
凶悪犯、篭城犯を射殺する警察官だってそうだ。
「被害が拡大する前に」やっているのだから。
しかし刑務官の「死刑執行業務」は、ちと事情が違う。
どんな凶悪犯でも「塀の中」では、再犯の可能性が無い。有ったら困る。
長く収監されている間に、本当に改心する犯人も少なくないらしい。
そんな死刑囚を部屋から出し(5~6人くらいで囲むんですって)
「○○君、今日でお別れです」所長の「お別れ」の言葉で、これから起きることを悟った死刑囚を個室に連れて行き、暴れないよう両手両足を縛り首に縄を掛け・・・。
死刑囚の足元の仕掛けは、別の部屋に用意されたボタンで「外れる」らしい。
ボタンは数個あって(たしか4~5個だったんじゃないかしら)これをボタンの数だけの刑務官が同時に押すそうな。
「当たり」はランダムに位置がかわるが、その内の一つ。
どれが「当たり」なのかは執行後も分からないそう。
刑務官の「俺が殺した・・・」のプレッシャーを少しでも軽くする為に。
とは言え、かなりの心理的プレッシャーは間違いない。
心底、彼らには同情する。
凶悪犯揃いの死刑囚とは言え、誰も「生きていて欲しい」と思わない連中とは言え「人を殺す」というポイントは変わらない。
どんだけ辛い仕事だよ・・・・
とは思う。
思うが「死刑」は存続すべき。
そして世間の「怒り」が収まらぬ内に「執行」すべきだと思う。
無駄飯食わせる必要も無いし。
それなら刑務官だって「こんなヤツ、死刑になって当然だ!!」の気持ちで
ボタンを押せるかもしれない。
もしくは被害者の遺族が希望するなら彼らに押させるとかね。
「いくつ押してもいいですよ」って。
たしかアメリカのある州では、コレが出来た筈。
遺族が死刑囚の体内に毒を注入するボタンを押せる筈。
光市母子殺人事件の犯人に極刑が下されますように。
それだけの事をやったんだから。
風俗店にでも行けば満たされたであろう欲望を、強姦で・・・そう判断したのは犯人自身なのだから。
それに見合う判決でなければならない。当たり前じゃん。
「罪を犯せば、それより厳しい罰が待っている」
そうじゃなければ犯罪の抑制にはならない。
現行の少年法なんてザルそのもの。
そんな事を考えた連休初日でくつろぐ私でした。
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